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ねぎとろ丼

ねぎとろ丼

某国上海娘 - 後編

※こちらは某国上海娘の後編になっています。前編は→

   -桃源郷へ-


 故郷を破壊してから山奥に篭った私は、ごろごろとした毎日を過ごした。
 何人もの人間を襲い、それらを食べて何十年もの時間をぶらぶらと過ごした。
 ある男が言っていた土地を思い出す。ここよりずっと東に行ったところにあるという国。東の最果てに在るという土地。
 そこに何があるかはわからない。だがそこに私の求めるような世界があるとうのならば、私はそこへ行きたいと思うようになった。
 師範だったあの男は妖怪が集まる場所の話なんて一言もしていないが、もしかすればあるかもしれないという妄想に近い理想を抱いた。
 思い立った私は人間が栄えている国の本屋に盗み入り、外国の地図を手に入れた。
 しかし何冊もの地図帳を見ても妖怪が縄張りとするような土地は見つからなかった。
 山の道を往く人に尋ねてみるが東の果てにある、妖怪が集まる所なんて聞いたことがないという。
 人里離れた山奥で野宿しながら手がかりを探るが、教養を殆ど持たない私ではどうしようも無かった。つまり完全に打つ手無し。
 夜道を通りかかる人間を襲って食いつないで生きているが、どうしようもない。
 非常識な町を壊滅させて人間の敵となってしまったから私のような怪物が集められた世界に逃げこもうとでも思ったのに、そんなところが在るかどうかさえわからない。
 つまり手詰まりである。
 諦めてしまおうかと思って藁で作った自分の家で寝ようとしたとき、周囲に嫌な気配を感じた。
 あの蜘蛛妖怪が現れたときに感じたような、妖かしの匂い。私以外の妖怪が居るのだと思い、構えていると目の前に一本の筋が現れた。
 何もない空間に、紫色の縦筋。
 それが少しずつ横に広がっていって人一人通れる程の隙間が出来たとき、奇妙な格好をした女が隙間の向こう側から出てきた。
 その女は白い日傘を持っており、西洋風の服装で身を包んでいた。
 髪と瞳の色も変わっていて、この国に住んでいる者とは思えない種類の人間いや妖怪だと思った。
 目つきも怪しく、人間の悪党よりも迫力がある。世界征服の様な大きな悪事を企んでいそうな者にも見える。
 優しく見つめられているようにも見えるしこちらの気を惹こうとあえてそっぽを向いているようにも見え、どこに視点を置いているのかわからない。
 不思議という表現よりも不可解という言葉が似合う人物だ。
「はじめまして、寂しそうな妖怪さん」
「な……何なの。あなた、何者?」
 父と母、爺様と婆様等の人間を喰らい、私の居た町で猛威を振るったあの妖怪よりもずっと奇怪で、おかしな妖怪だと感じた。
 何もないところから出てこられる術なんて聞いたことがない。
「私の名前は紫。八雲紫。あなたの探し求める世界、幻想郷に住んでいる妖怪よ」
「な、何ですって? 私が探してる世界って……」
「あなたのお名前は?」
「……ほ、紅。紅、美鈴」
「そう、美鈴さんね。よろしく。あなたが望むのなら、妖怪共が闊歩している場所へ招待してあげてもいいのよ」
「へ、へえー……それはありがたいわね」
 目の前に現れた妖怪はなぜ私が探しているものを知っているのだろうか。私が動きまわっているのを嗅ぎつけたのだろうか。
 頭の中で警告が鳴っている。倫理の警報が頭の中で響いている。
 この妖怪と関わることは命を危険に晒すことになると。この妖怪に立ち向かえば、自分はただでは済まないと確信する。
 目の前にいる八雲紫という妖怪の実力は自分よりも遥かに上なのだろう。そう直感で理解した。
「ううん、なんだか私気に入られてないみたいね。折角美味しい話を持ってきたというのに」
「……」
 呼吸を整えて全身の覇気を練り集め、目の前にいる妖怪を睨みつける。構え、拳を突きつけた。
 こいつはここで殺してやる。出来るかどうかわからないが、何かされる前に仕掛けた方がいい。
「あら、何のつもり?」
「別に。突然現れて、聞いてもないことを喋りだして……気持ち悪いのよ!」
 突撃し、紫の顔を狙った。しかし紫の顔には届かない。拳は先ほど見た空間の綻びへ吸いこまれてしまった。
「嫌ねえ、女の顔を狙うのは良くないことじゃない? 嫁入り前の女の顔は傷つけちゃいけないって、母親から教わらなかった? それとも、生まれたときから母親が居なかった妖怪?」
「そんな……何なのよ、一体……」
 慌てて手を引っ込める。別に傷つけられたということはないが、気持ち悪い。あの妖怪が使う術に対して不快感という感想しか思いつかない。
 彼女は口の端を吊り上げて、いやらしく笑う。私の怖がった顔が可笑しいのだろう。
「美鈴。あなたの言う、東の果てに在るという妖怪が集まる場所は確かに存在するわ。そこは幻想郷と呼ばれ、人間の巫女が統治している世界なの。そこでは人と人外がいがみ合って生きているところ。あなたの様に、暇な妖怪が集まってきたりする場所よ」
「……」
「さっきも言ったけど、あなたはそんな所に行きたいのでしょう?」
「そ、そうよ。私は、もう、どこに行けばいいのかわからない。自分の居場所を自分で壊して、帰るところを失ったから。だから私みたいな化け物が跳梁跋扈するような世界が在るというのなら、もうそこにしか自分の居場所は無いと思って、それで……」
「ふうん。なんだかよくわからないけど、訳ありみたいね」
「ええ、まあ……。その土地の名前も知らなかったし、そんなところは皆知らないって言うから、どうしようもなくて困っていたわ」
「そりゃあそうでしょうね。幻想郷という名前の通り、存在を知る者は殆どいないわ」
「……」
「そこで私は提案する。私があなたを幻想郷に連れて行ってあげるの」
 紫が傘をたたみ、傘の先で地面に円を描いた。その円の淵に色がつき、隙間が生じる。先ほど私の拳を無効化した術だ。
「私はありとあらゆる境界を弄ることができる。そして今私はそこに作った隙間を幻想郷とつなげたの。つまり、ここに飛び込めばあなたは幻想郷へ行くことができる」
「……」
 この妖怪のすることがわからない。見ず知らずの私に何故こんなことをするのか全くわからない。
 大体、この先へ行けば幻想郷へと辿りつくという保障はないではないか。
「どうしたの? 行かないの?」
「なんでこんなことをするの?」
「おもしろそうだから」
「……それだけ?」
「そう、それだけよ。暇潰しみたいなものよ。あなたが幻想郷で異変を起こすというのなら、どんなことになるのか観察してみたい。ただそれだけよ」
「それはあなたにとって、得になることだからするの?」
「あら、美鈴は物事を損得で計るの?」
「そんなことはないけど……」
「じゃあそれでいいじゃない。まあ、おもしろいかそうでないかで考えれば、ある意味私も損得計算しているのでしょうけど」
「……変人ね」
「そうかしら? 自分と似た者を探すあなたも結構な変わり者だと思うわよ?」
「食えない奴ね」
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくわ」
「……」
 この女と会話していると自分の感情を支配されているかのような錯覚に囚われる。
 こちらが気に入らないところを遠慮なく突いてくる。目の前の妖怪はそんな者に思う。
 口先で人間を惑わし、戸惑わせて死へと誘うのだろう。
 この妖怪はそういう類の、危険な存在なのだろう。ある意味最も妖怪らしい妖怪だと思う。
「美鈴、あなたには選ぶ権利が在るわ。このままここに残り、人間社会に揉まれながら細々と暮らす道。そしてもう一つ。様々な理想を抱き、幻想郷に飛び込んでみる道。どちらを選んでも構わないのよ。さあ、どうする?」
「……わかったわ。もう、迷わない」
 紫を信じて隙間に足を踏み入れた。その先は地面の無いところで、見渡す限り空洞の空間。
 振り向いたところで紫が私の背中を押した。彼女の微笑みが遠くなっていく。私はそのまま暗闇に飲み込まれていった。


   -小さな背中-


 紫の開けた隙間に落ちていってどれぐらいの時間が経っただろうか。
 気がついたときには木がたくさん立ち並ぶ夜の森で倒れていた。
 周りには様々な生き物の鳴き声から、おどろおどろしい気配まで感じる。そう、妖怪の気配。
 すぐ近くに居そうというわけではないが、この辺りで人間を待ち構えているような感じ。
 妖怪を退治してやろうという人間でも待っているのだろうか。それとも、私が人間だと思われているのか。
 何かが出そうな、肝試しの空気。それを肌で感じながら暗い森を歩いた。
 とりあえず寝られそうな場所を探そうと思って。
 寝ようとしたところで隙間を操る妖怪が現れ、私の昼値を邪魔したのだから。とはいえ、目が覚めるまで寝ていたのだが。
 遠くを見渡すと大きな山と真っ赤な洋館が見えた。洋館には偉い人でも住んでいるのだろうか。
 そこを襲えば食料にありつけるのだろうか。
 しかしここが幻想郷であるならば、妖怪がたくさんいるだろうからすでに襲ったことがある者もいると思う。
 それなのに建物が綺麗なままということは、強い人間か強い妖怪が住んでいるのだろう。
 ここで何をしようか考える前に、まずは寝床を探すことから始めた。早くここでの生活に順応しないと。

   ※ ※ ※
 
 ここ幻想郷には妖怪だけでなく幽霊や妖精、様々な神々がいることに驚いた。
 人間が集まって住む里があり、そこには妖怪退治を生業とする者がいるから襲撃することは難しいと、蟲を操る妖怪から教えてもらった。
 幻想郷は強力な結界によって世間から切り離された地方であり、外の日本から干渉することのできない別の日本であると兎の妖怪から聞いた。
 そしてあの紅い洋館は紅魔館と言い、吸血鬼と言われる種族が住んでいると鴉の新聞屋から聞いた。
 吸血鬼とは鬼の一種であり、人の血を吸って夜空を往く凶悪な西洋の妖怪である。
 きっと強いのだろう。途中から妖怪になった私とは違って生まれつき妖怪なのだから。人間を襲うために生まれた生物なのだから。
 私は人間だけでなく木の実や魚を取って、つまらない毎日を過ごしていた。
 妖怪に対する気持ちが違うのか、ここに居る人間達は挨拶をすると挨拶を返してくる程に気さくであった。
 だが襲って食うとなると話は別。紫の言っていた紅白の巫女が邪魔をした。その巫女はとても強く、私では敵わない程。
 ここに来る前に抱いていた理想とはかけ離れているが、前よりは毎日が楽しかった。
 しかしつまらないことには変わりが無かった。何の目標もなく、毎日をぶらぶらしている。以前と何の変化もない。
 紫が言っていた異変というものに興味が無いから、大きな騒動にも気が向かない。
 母と父の言った言葉を思い出す。一人でも幸せにね。逞しく生きろ。
 私は確かに生きているが、幸せではない。そして妖怪に成り果てた私を、父と母は何と思うのだろうか。
 生き延びるためになったんだ、と言えば納得するのだろうか。しないだろう。
 天国に上った父と母は怒っているかもしれない。嘆いているかもしれない。
 でも生きていればどこかで幸せを掴むことが出来るはずだ。いつか幸せを見つけることが出来ると信じている。
 どこかに私を求めているような者はいないのだろうか。体力には自信があるから、いっそ大工や土木工にでもなってみようか。
 幻想郷に住む人間に受け入れられるというのなら、人間のために働くのも一興だと思った。

   ※ ※ ※
 
 幻想郷に来てから初めての冬がやってきたある満月の夜。
 雪こそ降っていないが非常に肌寒く、とても辛い日だった。それと重なって嫌な出来事があった。
 この日は獣を狩りに来た老いた男を襲った。が、そのとき横から刀を持った妖怪退治屋の青年が奇襲を仕掛けてきたのだ。
 そのせいで深手を負わされ、人間狩りに失敗。悔しさのあまり一日中いらいらしていた。
 今でも続いている。誰でもいいから八つ当たりしたい。我武者羅に殴って腹の虫を静めたい。そんなことを考える程に苛立っていた。
 そんなときに空を飛び交う小さなものを見つけた。それは翼をはためかせ、素早く飛び回っているものだった。
 鳥にしてはあまりに速過ぎる移動速度に私は興味を持った。
 目を凝らしてみるとそれは蝙蝠の様な翼を持った小さな少女であることがわる。少女といえど人間ではない。間違いなく妖怪の一種だ。
 私は地を蹴り、飛んでいるものに襲い掛かかった。向こうが私に気づいたのか、足を止める。
 そのときはっきりと少女の顔を見ることができた。
 刃物の様に鋭い眼光。怖い目つき。冷酷な微笑み。長く、尖った犬歯。漆黒の翼。間違いない、目の前にいるのは吸血鬼だ。
「あら、何の用? 随分と汚い格好しているけど」
「特に用は無いんだけど……今の私は凄く機嫌が悪いの。頭の上を好き勝手に飛び回られて、頭に来てるのよ!」
 瞬時に気を集め、それを爆発させて砲撃。虹色の弾幕を放った。しかし目の前の吸血鬼には掠りもしない。
 すばしっこい動きで攻撃を全て避けられ、私のわき腹を指先から伸びているナイフのような爪で切り裂いた。吐血してしまい、苦痛に歯を食いしばる。
「これぐらいで倒れたりしないわよね?」
「こ、これぐらい……何ともないわよ!」
 吸血鬼の鉤爪は切れ味鋭く、私が今まで鍛えぬいた肉体をいともたやすく貫いた。傷口を手で押さえるが血は流れていくばかり。
「どうするの? もっと遊んでくれるの? それともそこら辺にいる雑魚妖怪みたいに逃げて、弱い人間だけを追いかける弱虫妖怪に成り下がるの?」
「言ってくれるじゃないの……この、吸血鬼!」
 呼吸を落ち着かせて体内を巡る気の流れを操り、傷口を一時的に塞いだ。
 体の治癒能力を瞬時に活性化させたのだ。応急的ではあるが、これで血は止まる。
 次に空気中と大地から気をかき集め、自分の体へ宿した。純粋に肉体を強化し、武道家らしく素手で闘うことを決めたのだ。
 向こうも素手での闘いの方が得意に違いない。
 舐められているから飛び道具を出してこないのかもしれないが、あの爪と素早い動きを考えれば肉弾戦が好きであると思う。
 構えを取ると吸血鬼が口の端を吊り上げた。まるでおもしろいおもちゃを見つけた子供の目付きみたいである。私に対して興味を持ったのかもしれない。
「中々楽しめそうね、あなた。そこらにいる人間を襲うことしか能のない妖怪よりよっぽど優れている。おまけに、度胸も据わっているしね」
「褒めてるっていうの? 見下されてるのね……」
 気丈に振舞うよう努めるが、吸血鬼から感じ取れる妖かしの波動はどんどん膨れ上がっていく。その規模は私の気のオーラを飲み込みそうな程。
「見下す? 当然じゃないの。あなた達みたいに野良犬の様な汚い妖怪と、私の様に血統書付きの高貴な種族とを一緒にされては困るわ」
「……偉そうね」
「偉そう? 違うわ、偉いのよ」
 吸血鬼が片手を天に向かって伸ばす。手のひらから何かを召喚しようとしているのか、手から赤い光を放ち始めた。
「そこまで私に噛み付こうと言うのなら、少し力を入れて勝負してあげる」
「へ、へえ……。それはおもしろそうじゃない……」
 辺りの空気が変わっていく。赤い光はもっと深い色に変わり、紅い雷光を帯びていく。
 周りにいたはずの虫さえ遠くに逃げており、動物の気配さえ感じない。
 森を縄張りとする妖怪でさえ吸血鬼というものを恐れているのか、高みの見物の様である。
 私はなんて者に喧嘩を売ったのだろう。今更後悔している。
「その身に受けなさい。神が愛した、槍の力を」
 紅い光が瞬時に細く伸び、長い矢へと変わる。矢と呼ぶにはあまりに大きすぎて、吸血鬼の言った通り槍と呼ぶ方が適切であった。
 その槍に篭められた膨大な魔力の前に私は歯をガタガタと震わせ、恐怖のあまり目を逸らそうとしていた。
 逃げようという発想が出来ない。背中を見せればその隙に殺されると思っているから。
 かと言って何か行動を取ろうにも足がすくみ、動けなかった。私はあまりの怖さに小水を漏らしているかもしれない。
 今になって数々の思い出が蘇る。これは走馬灯というものなのだろうか。
 死ぬ間際に思い出を探り、過去の経験から生き抜く術を探すというもの。
 初めて蜘蛛の妖怪へ立ち向かったときのことを思い出した。死にそうになっても一矢報い、敵を撃退させたことを。
 私は目を見張り、巨大な魔力の槍を見据えた。両腕を前に構えて気による光の球を作る。
 あの蜘蛛の妖怪を死滅させた術だ。向こうが全力を出すというのなら、こちらも全ての気を集めた術で対抗するしかない。
 吸血鬼が手を振るう。少しずつ加速していく槍に向かって私は光球を撃ちだした。
 槍の矛先と光球がぶつかり合い、その衝撃で周りの木々が倒れていった。
 念じて光球の力をより強固なものにしようとするが吸血鬼の放った槍があまりにも強力すぎて、今にも打ち破られそうな状態。
 やがて光球に大きな風穴が開けられ、槍がそれを貫いて私の胸に突き刺さった。
 槍の勢いに押されて地面に激突。暗黒の力が私の体を蝕む。私は天を仰いだ状態で無様な姿を晒すこととなった。
「いい気味ね。見下ろされる気分はどう? 野良妖怪さん」
「……」
 私は負けたのだ。夜の王、吸血鬼に。
 私はこれから咀嚼されるのだろう。闇の眷属、吸血鬼に。
 私はこれから彼女の血肉になるのだ。幻想郷最強の妖怪である、吸血鬼のものに。
 しかし不思議と悔いは無い。
 この先生きていても毎日が楽しくないのなら、今ここで目の前にいる吸血鬼に食べられて構わないと思っている。
 こんなにも紅い満月の夜に崇高な種族と決闘が出来たことに感謝している。私は誇り高き悪魔と凌ぎを削りあえたことで満足している。
 吸血鬼がゆっくり翼を羽ばたかせて降りて来た。
 すぐ傍で私を見つめるその眼差しは厳ついものではなく、寵愛に溢れた暖かいものであった。
 情けをかけてもらっていると思うと涙が出てきた。今この瞬間はこの吸血鬼と共に過ごしているのである。
 独りではないのだ。敵ではあるが、誰かが傍にいるという事実に安心のため息が漏れた。
 こんなにも強くて格好いい方に殺されるのだ。直々に手にかけてもらえると思っただけで、嬉しかった。
「怖いから? それとも悔しいから泣いているの?」
「違うわ。……いいえ、違います。あなたの程の強い者と闘えて嬉しいから、涙が出ているんです」
「それは光栄ね」
 にっこりと両目を瞑ってはにかんだ吸血鬼。
 今目の前にいる者を妖怪と呼べば似合わない笑顔だが、少女と見ればとても可愛らしげのある表情に思った。
「どうか一思いに私を殺してください。もう私は生きていくことに疲れたんです」
「どうして?」
「今の私に生きていく目標は無く、毎日をだらだらと過ごしているだけなのです。小さい頃に抱いた夢は無常な世の中を思い知ることになっただけとなった。夢も希望も失い、余計な力を手に入れて妖怪と成った私は、もう生きていても楽しくないんです。だからもういっそここで死んでもいい。今そう思っているんです」
「……そう」
 彼女は手を動かした。きっと妖かしの術で私の息の根を止めるのだろう。
 これでようやく楽になることができる。もうこれで毎日必死になって食料を探さなくて済む。
 待っていてね、お母さん。お父さん。婆様、爺様。今謝りにいくから。
 私はたくさんの人を殺し、幸せすら掴めなかったって頭を下げに行くから。
 吸血鬼が何か言葉を呟いた。私に最後の挨拶をしてくれているのだろうか。いや、違うようだ。
 彼女が動かした手は何か術を使うためのものではなかった。
 その細く綺麗な右手を私に差し伸べているようだった。そして彼女はもう一度口を開く。
「あなたの腕を買いたいの。私の住む城の門番をやって欲しい」
 吸血鬼は私が欲しいと言った。そう、彼女は私が必要だと言ってくれたのだ。
 ああ、なんて慈悲深いお人なのだろう。なんて優しい方なのだろう。
 私は大きな傷口を手で押さえながら立ち上がり、彼女の手を取った。そして私は彼女に跪く。
「私の名前は紅美鈴です。私でよければ、私はあなたの盾となりましょう。血を吐き、立ち上がる力を失ったとしても、体を張ってあなたの居城を守りましょう」
 そう誓い、彼女の指先に口付けをした。
「悪魔の手先となり、私にこき使われることに抵抗は無い?」
「ありません。あなた様の命令であれば、如何なることも引き受けましょう」
「そう……。ねえ、顔を上げて」
 言われて、見上げた。彼女は真夜中の暗さに似合わない程、とても明るい笑顔であった。これからの私の道を明るく照らしてくれる様な太陽に似ている。
「私の名前はレミリア。レミリア、スカーレットよ。よろしくね、美鈴」
 彼女に手を引かれ、彼女の居城へと案内してもらうことに。
 この方は高貴なだけではない。純粋で確固とした信念を持っており、慈愛と情の深さを備えているのだろう。
 美しいだけじゃない。内面的にも綺麗な方に違いない。
 彼女、いやレミリアお嬢様は気に入った私を殺さず、生きる道を示してくださったのだ。もうそれだけでついていく価値の在るお方である。
 私は吸血鬼という強大な種族の者はもっと殺伐とした者ばかりだと思っていた。
 笑顔とは無縁の者達だと思っていた。今、それは間違いだと理解している。
 この方の幸せを守るためならこの命を賭けてもいいと思っている。
 このお嬢様が笑ってくれるのなら、私は何を命令されてもその通りに従いたいと構えている。
 このお嬢様の下でならどんな仕事でも出来る。こんな上司の下で働けるのなら、どんな汚い仕事でもやり遂げる自信がある。
 お嬢様が遠くを指差した。その先にはいつか見た、真っ赤な洋館。紅魔館。そう、このお嬢様こそ紅魔館に住んでいる吸血鬼だったのだ。
 改めて私は感動し、涙を流した。これから小さなお嬢様を守らせて頂けるのだ。
 嬉しくないはずがない。この方を守って行き、いずれ死ぬというのなら本望だ。
 私はもう一度お嬢様によろしくお願いしますと頭を下げ、紅魔館の大きな門をくぐった。


   -平和な日々 楽しい毎日-


 私に似合う服をお嬢様に見立てて頂き、制服の様なものを頂いた。
 何の因果か、その服は私が生まれた町で皆が着ていた服によく似ていた。
 私が外から来たことを考えて中華風の衣装を選んだのだろう。
 でも折角なら妖精のメイドや建物に合わせた、洋風の格好をしてみたかった。
 ただこの新しい服は自分でも似合うと思っている。やはり私の生まれはあの町なのだ。私は田舎生まれの農民娘なのだ。
 門番としての職務に励みながら紅魔館の一員としての生きる道が始まった。
 お嬢様への畏怖の念を常に抱く一方、お嬢様の妹様と打ち解けあって遊んだりする毎日。
 お嬢様の親友である魔法使いからは駄目門番だと罵られるが、お嬢様専属のメイド長とは仲良くなったりする。そんな運命。
 もう私は孤独ではない。
 色々な者が絡み合うこの館の中で養っていただいている、一人の門番なのだ。
 ただの妖怪ではない。野良妖怪ではない。門番として生きる妖怪だ。

   ※ ※ ※

 紅魔館に来てから初めて訪れた梅雨のある日。この日は咲夜さんがお嬢様の使いで買出しに行っていた。
 外は大雨。傘を差して門番をするわけにはいかないだろうと思って私はロビーでぼーっとしていた。
 パチュリーさんは相変わらず地下に篭って読書に勤しみ、妹様は吸血鬼なので昼間にお休み。
 暇だったので妖精メイド達とお菓子の話をしていたが、突然妖精メイド達が慌しく働き始めた。
 後ろを振り返ると妹様と同様、お休み中であるはずのお嬢様が目を擦って立っていた。不機嫌そうな表情。髪はボサボサで、顔にはくま。
「雨でイライラして寝付けられないの。少しお茶にでも付き合いなさい」
「ええ、構いませんよ。暇でしたし」
「上司の前で怠けることを宣言するなんていい度胸ね……と叱りたいところだけど、この雨じゃあどうせ来る客も来ないわ。今日はのんびりしていなさい」
 お嬢様が手を叩き、妖精メイドにお茶を持ってこさせた。私の分も用意してもらい、黒い皮のソファーに座った。
 お嬢様と並んで座らせていただき、お茶を一口啜った。
 お茶に人の血が混じっていることに気付いき、それ以上飲まないことにしてカップを硝子のテーブルに置いた。
 お嬢様もカップを置いたのでどうかされましたかと訊くと、血が入っていないと仰る。
 妖精メイドが私とお嬢様のお茶を間違えて渡したのだろう。
 ますます機嫌を悪くするお嬢様とカップを交換し、仕切りなおして午後の紅茶を味わった。
 しかし今口に含んだ紅茶の味よりも、久々に飲んだ血の味が気になって仕方が無かった。幼馴染の血の味を思い出す。
「久しぶりに二人きりね。美鈴と出会った夜を思い出すわ」
 そう言いながら小さな口を開けて大きな欠伸をしたお嬢様。その仕草が愛らしくて、口が自然と緩んだ。
「眠たそうですね」
「ええ。昨夜は白黒の魔法使いと遊んできたから、遊びつかれたのよ。ねえ、眠気が飛ぶような話はない?」
「そうですね。私の昔話なんかはどうですか?」
「……どんな話?」
「私が人間だった頃の話です」
 血の味から連想する。私が起こしたあの虐殺劇を。
 あそこの町が築きあげた腐った社会を。あの蜘蛛妖怪を。
 師範だった男を。
 母と父の笑顔を。
 そして、セイニャンを。
「あら、それは中々興味深いわね。少し目が覚めてきたわ。早く続きを話して頂戴」
「ええ。今日は一日中暇ですから、ゆっくりお話ししましょう」
 あの頃は夢があった。毎日が希望に溢れていた。いや、毎日が楽しいものだと信じていた。
 しかしそんなものは蜘蛛妖怪が全て壊してくれた。蜘蛛妖怪が町の人々や私の親族とセイニャンを襲った。
 その妖怪を打ち倒すために妖怪の如き力を手に入れた私は町の皆から邪魔者扱いされ、それに怒った私は町の皆を葬り去った。
 やがて自ら本当の妖怪に成り果ててしまい、人間の敵となった。
 行き場を失い、様々な理想を掲げて幻想郷へあの女に連れて行ってもらった。
 そして私は尊厳さ溢れる吸血鬼と出会い、奇特な運命へと導かれていった。
 今私は幸せである。必要としていただける者の下で働かせていただいていることに感謝している。
 そう、今私は幸せなのだ。父と母が願った通り、幸せなのだ。妖怪となり、悪魔の手先となったが私は満足しているのだ。
 これからの毎日は紅魔館の門を守る仕事なのだ。お嬢様を愛し、愛される日々なのだ。
「私が生まれた所からお話しましょうか。そこはここよりずっと西の方にある、農村のような町でした──」 
 お嬢様の笑顔が見られる平和な日々が、ずうっと続きますように。


『某国上海娘』 終

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